兵庫県の佐用町平福は、かつて因幡街道の宿場町としてにぎわった町。
その昔、戦国時代は「利神城(りかんじょう)」の城下町でもあったことから、その名残が今も随所に残されています。
今回、「お休み処 瓜生原」を訪れて、その名残・・・千本格子や蔵造りの家並み、作用川沿いに点在する土蔵や川座敷に触れることができました。
高速へのインターチェンジもあり、いつも通り過ぎるだけだった「作用平福」が、実はとても趣のある宿場町だったということに改めて気づいたのです。
お休み処 瓜生原は、江戸時代から昭和初期まで鋳物業を営んでいた「瓜生原家」の邸宅を改修した交流施設です。
瓜生原・・・って由緒のある名前っぽいですね。もともとは瓜の生える土地だった、ということでしょうか。
現存する建物は、何と1810年(江戸時代)の建築というから驚き。よく手入れされてきたものです。
暖簾をくぐると、食事処だけではなく、宿場町だった当時の道具や民芸品なども飾られ、宿場町平福の特徴的な古民家を鑑賞できるようになっています。
お食事処のスペースは、古民家の落ち着いた雰囲気。
シンプルな「手打ちそば(ざる」を注文します。
箸休めの一品、玉子焼きが嬉しい。
デザートのミカンもありがたい。
どちらかというと黒蕎麦ですね。
まずは、いつものごとく何もつけずにまずはひとくち。
芳醇な香ばしいかおり。そして歯ごたえ。
おつゆもちょうどいい濃さ。
店員さんに蕎麦の産地を訪ねると、なんと「福井県」のお蕎麦という返事が返ってきました。
最近食したお蕎麦の中では、歯ごたえがダントツにいい感じ。
茹で加減が絶妙、ということでしょうか。
蕎麦は、やはりこれくらいの太さでもって、ソバらしい色の蕎麦がいいなあ・・と改めて感じる私。
ぼそぼそ切れるほどではなく、コシもほどほどあり、少しザラザラ感のあるのど越し。
王道の蕎麦ってこういうのかもしれません。
そして、最後、そば湯が登場したのですが、何とこれが、シルバーの小ぶりのポットで・・・
お冷やお茶が入れてあるような、よくあるアレです。
あれ?お冷を持ってきてくれたのかな?と思ったので、違う器に少し垂らしてみたところ、白いお湯が出てきたので、「間違いない、これはそば湯である」と確信してから、無事おつゆにつぎたしていただきました。
このそば湯がもっと違う、宿場町の古民家をジャスト演出するような風情のある入れ物ならば、もっとよかったであろうに・・
美味しい蕎麦を堪能した後は、瓜生原の周辺を少し探索してみました。
食事処の入口から反対にある細い通路を裏に抜けると、離れの座敷があるのに気がつきました。
違う扉を開けてお料理を運んでいた店員さんは、ここに運んでいたのか、納得。
障子ごしに、人の話す声が聞こえてきます。なんか風流でいいなあ・・
この離れ座敷には「川座敷」という、作用川の水面を眺めながら食事ができる部屋があるようです。
初めて来た客にはわからない、ツウの座敷ですね。
入り口が空いていたので、少し失礼してシャッターを切りました。
少しだけ空いているふすまの向こうが、川座敷になっているようです。
この離れの横に、裏手に抜ける階段があったので、降りてみました。
階段を降りて暖簾をくぐると・・・
何と、作用川がすぐそこ!に。
勢いよく階段を下りたら、うっかり川に飛び込んでしまいそうな距離感。
少し怖い感じさえします。
こんな景観があったとは。
作用川があるというのも、実は知りませんでした。確かに道路からは見えないし・・
格子で囲われている川座敷と土蔵群が整然と並ぶ川端風景は、平福ならではの景観として特に有名とのこと。
大事に大事に守られてきたのですね。
お店の中に貼ってあった新聞記事を見ると、2015年(平成27年)の春に「瓜生原」はオープンしたようです。
今年で8年経ったことになります。
帰りにお店の前の張り紙を見て驚いたのですが、明日(9月11日)から10月末日まで、臨時休業となってしまうとのこと。改装でもされるのでしょうか。
幸運にも、ギリギリで美味しい蕎麦にすべりこめました。
<追記>
2024年1月現在、瓜生原は再開しているようです。
道の駅「宿場町ひらふく」の近く、道路沿いに『そば』ののぼりが立てられていたら、オープンしているようです。