これまで京都にはいったい何度訪れたんでしょうか。
初めて京都を訪れたのは、中学校1年生の時、亡くなったおじいちゃんの納骨をするために家族で行ったとき。
今はもう走っていない特急あさしおで朝早く出発して、京都に降り立って初めて行った場所が西本願寺。
それから西本願寺には何度か訪れたけど、私の中では京都の象徴は今でも西本願寺だなと感じます。
荘厳できらびやかな西本願寺の唐門をくぐる時、いつも京都に初めて来たときの高揚感がよみがえってくるのです。
西本願寺で毎朝行われている朝のお勤めにも何度か参加しましたが、小さいころからふれていたお経の正信偈(しょうしんげ)の響きがとても心地よく、聴いているだけで癒されました。
京都はいろんな楽しみ方があるけど、私の楽しみ方のひとつは、「修学旅行の基本に従う」です。
清水寺、二条城、金閣寺、太秦映画村、河原町新京極での買い物。
中学生の時の修学旅行の行き先はこれくらいしか覚えていないけど、その後も個人的にも何度か同じ場所を巡りました。
特に清水寺は恐ろしくリピートしています。
二寧坂、三寧坂の両脇をうめつくす個性豊かなお店、いろんな国から来ている観光客、制服を着た修学旅行生。
清水寺参拝がしたくて、というよりも、京都を求めてやってきている人々のワクワク感みたいなものを直に感じたくて、ついつい足を運んでしまっているような気がします。
清水寺の大改修が2018年に行われた時にも、それを知らずに訪れてしまったのですが、逆にこういう状態のレアな清水寺が見られたことは、ほんとにラッキーでした。
やはり、京都観光の王道は、まずは清水寺です。
修学旅行の基本には従いながらも、大人になればやはり感じ方は変わります。
京都の神社仏閣は観光客が多いので、その周辺地域は観光客向けのサービスやお土産が充実していて、いろいろ巡るのも楽しいのですが、あまりにも観光客ナイズドされていたりすると残念な感じを受けることも時たまあります。
私の中では、「違うんだよなー。京都はこうじゃないんだよなー」と葛藤が起きますが、それは自分が感じただけのことなので、すぐ気持ちを切り替えます。
京都が醸し出す多くの人が魅力に思うものを大事に守りつつ、後世にそれを残していく…
それがはるか遠い昔から綿々と続けられてきたからこそ、私たちは現在でも京都に惹かれ続けることができているのではないでしょうか。
その建物を訪れる人々の想いがそこに宿り続けて、その場所は特別なオーラをまとうようになっていくのかもしれないなあと思うことも。
科学的には解明できない「得体のしれぬ空気感」みたいなものが京都にはあるような気がします。