「高野山」で連想されるものと言えば、空海、高野豆腐、宿坊。それくらいしか思いつきませんでしたが、一生に一度は高野山参り、高野山の精進料理は食しておくべきだろう!と思い立ち、出かけました。
どうやら高野山は秘境っぽいので、存分に楽しむためには予習が欠かせないと感じ、この本を購入しました。
高野山の楽しみ方がマンガで紹介されていて、高野山へ行きたくなる気持ちがますます倍増するオススメの本です。
高野山初心者はぜひ読んでおくとよい本です。
・高野山とは?
・空海(弘法大師)ってこんな人
・高野山の二大聖地 「壇上伽藍」と「奥之院」
・仏像の見方
・宿坊の過ごし方
この中でも、「仏像の見方」については、必見!
仏像のことをそんなには知らない者でも、カラフルなイラストと端的なセリフで、仏像の魅力がよくわかります。
著者の田中ひろみ氏はもともと仏像が大好きな方で専門性もある方。マンガでの仏像解説は全く小難しさがなく、本当に注目してほしいところが書かれているので、仏像っておもしろい…と興味がわいてきます。
私はこれを読んで、高野山ではぜひ仏像も楽しもう!と思いました。
高野山へ車で行くには、山道のかなりきつめのカーブを対向車に注意しながら通り抜けて行かなければいけません。
地上800メートルの盆地に位置する高野山にたどり着いたときは、こんな山奥にこんな場所があるとは!と驚きました。
高野山に向かう途中はあいにくの天気。高野山を囲む山々にはモヤが深く覆いかぶさり、うっすらと霧が立ち込めて静まり返る高野山は本当に神秘的な趣でした。
メイン通りを歩いていると、高野山大学を見つけました。高野山大学には文学部に「密教学科」があります。「弘法大師に連なる真言密教の継承者となる」人物を養成するための学科のようです。
・・・密教学科、神秘的ですね。
壇上伽藍の根本大塔
高野山のシンボル、また真言密教のシンボル、「根本大塔(こんぽんだいとう)」。
壇上伽藍エリアの中では、朱塗りで一番存在感がある建造物です。
「壇上」とは一段高くなった場所、真言密教の教えである大日如来が鎮座する壇のこと。
「伽藍」とはお寺が建ち並んでいるところ。
壇上伽藍は、空海が修行の場として最初に建てた場所だそうです。
金剛峯寺
総本山「金剛峯寺」。到着したときは時間も遅く、中には入ることはできませんでした。
そういえば、中学校の歴史の教科書に、このお寺が載っていた記憶があります。。
屋根の上に桶が備え付けてあります。「天水桶」といって、火災発生時に火の粉で屋根が燃えないように、桶に溜まった雨水を撒くためのものだそうです。
奥之院
奥之院とは、入り口から2キロ先にある、空海が今も生きているとされる「弘法大師御廟」と、その名の通りたくさんの灯籠が飾られている「灯籠堂」までの一帯です。
歩いていくのにもほどよい距離で、杉の木立に覆われているため、涼しい場所です。
涼しい理由はもうひとつ、20万基を超える諸大名の供養塔や慰霊碑などが歩道に沿って奉られているのです。
メジャーな歴史上の人物の名前の石碑もたくさん見かけました。
有名企業が名を連ねて慰霊碑を設置しているのにも驚きました。
こんなところにも広告塔があるのです。
コーヒーカップやヤクルトの形のユニークな慰霊碑もあり、企業のこだわり魂を感じます。
高野山はやはり日本でも有名な聖地ですからね。
灯籠堂
御廟の前に建つ「灯籠堂」。
薄いオレンジ色の光を放つ灯籠が天井が見えないほどつるされ、きらびやかでありながらも神聖な空間を作りだしています。
まさに、「幽玄」という言葉がぴったりの場所です。
弘法大師御廟
その灯籠堂をぐるりと後ろに回ると、「弘法大師御廟」です。お線香が焚かれ、御廟とは少し離れたところから見上げる感じでお参りします。
ひっきりなしにお参りの人がお線香をあげていました。まさに老若男女、若い人もけっこうたくさんいて、意外な感じもしました。
『ここは、弘法大師様の中心聖地であり、現在でも肉身をこの世にとどめ、深い禅定に入られており、わたしたちへ救いの手を差し伸べていらっしゃるという入定信仰を持つお大師さまの御廟所です』この御廟で、今でも弘法大師が深い瞑想を続けている、ということです。
「生身供(しょうじんく)」といって、毎朝6時と10時半に弘法大師のお食事がお供えされる儀式があります。
その食事を運ぶところをぜひ見たくて、時間を待ってうろうろしてみましたが、結局見ることはできませんでした。
「嘗見(あじみ)地蔵」という小さいほこらが、御供所(お供えを準備するところ)のそばにひっそりと建てられているのですが、お供えされる食事は、ここの味見役のお地蔵様に味見してもらってから、運ばれるようです。
1200年もの間、この儀式は執り行われているというから驚きです。味見するお地蔵様もなんてデンジャーな役目なのでしょう。
そしてお供えされるメニューっていったい何でしょうか?やはり精進料理?
この生身供は、これからも絶えることなく続けられていくのでしょう。こういうところが高野山そのものなのですね。
これを1冊読めば、高野山の魅力がまるわかり!
手書きの仏像イラスト解説が圧巻!
宿坊 普賢院(ふげんいん)
高野山には50を超える宿坊があります。
私の宿泊した普賢院は、高野山のメイン通りからほど近い所にあります。
宿坊に泊まったのは、ズバリ、「精進料理」と「朝のお勤め」です。
一度は食してみたい高野山の精進料理。
幸いにもお料理にボリュームは求めないお年頃。
胃に負担をかけず、胃腸が浄化されそうな精進料理、本場の高野豆腐が出てくるであろう精進料理、なんといっても神聖なお寺でいただく和食の基本ともいえる精進料理。
これにつきます。
部屋はこじんまりとした和室、2人定員くらいでしょうか。
昔ながらの調度品が大切に使い続けられています。
このせんべい布団とも言ってもいいような布団が私は大好きです。
布団カバーやシーツの糊のきいたパリパリ感がたまりません。
部屋は障子の引き戸で出入りする方式で、ねじ式のカギは一応あるものの、最後まで私はうまく鍵をかけることができませんでした。
…要するに開けっ放しだったと。
さて、夕食時間になり、期待の精進料理。
見事な襖絵を一人で鑑賞できるものの、50m走ができそうなこんな大広間に、ひとりぽつねん。
ここ、貸し切りで大丈夫ですかー?
空気清浄機が作動する音だけ聞こえます。
感染対策はいいと思いますが、ちとさみしすぎるかも・・・
シンプル イズ ベスト。
念願のゴマ豆腐もついて、ゆっくりゆっくり味わいました。
お酒はご法度かと思っていましたが、ビールか日本酒か選べたので、精進料理なら日本酒ですよね!と熱燗を注文。
この場合のお酒は「般若湯(はんにゃとう)」と言い換えられていて、宿泊客はOKになっているようです。はんにゃとう・・・
恰幅の良い、すごく丁寧な、意外にも声の高いお坊さんがお料理を運んでくださいました。
毎日でも食べたい、精進料理です。
宿泊記念にこんな素敵なお土産もいただきました。
カラフルな紐で編み上げた腕輪守。
ご利益ありそう、大切にします…
夕食後は、メディアはいっさい断ち、心静かに経をしたためて高野山に来た証を残しておきたいと、写経をすることにしました。
写経をするときは、儀式として、塗香(ずこう)という、お線香とカレースパイスが混じったような香りのする粉を掌で擦り合わせてから始めます。
写経前のお清めです。
意味も分からず一心不乱に字を写すのみでしたが、心がすっきりしてくるような気がしました。
明日の朝のお勤めに備えて、せんべい布団に潜り込み早めに就寝しました。
そして、次の日の朝食もまた・・・
ヤッホーーーーイ!
こだまが返ってきそうです。
隣の部屋もまた大広間があり、その広間を一間開けたまた隣の広間に、宿泊しているカップルのお膳が準備されているのが垣間見えました。
すごく贅沢に、贅沢に、大広間が使われ、宿泊客のプライベートが確保されているのですね。
普賢院の本堂
朝食前に、本堂で執り行われる朝のお勤めにも参加しました。宿泊している人はほぼ参加されていたようです。
お勤めの最中は、低い座椅子に座っていたので、足も痛くならずに済みました。
お勤めの終わった後は、住職が本堂の中を案内してくれるのですが、これがまた広くて地下室もあって、迷路のようでした。
お寺の外見からは想像もつかなかったことです。
普賢院には、高野山の中でも有名な見どころがひっそりと存在しているのです。
★摩尼車 茶筒の形のような摩尼車を回すと、回した数の経を唱えたことになり功徳が得られる
★八大仏お砂踏み 回廊内には仏教八大聖地の砂が埋められ、回廊を一周することで八大聖地巡礼お砂踏みを経験することができる
★仏舎利 お釈迦さまの歯の一部が安置されており、拡大鏡でそれを見ることができる
高野山に数々存在する他の宿坊にも、こういった見どころはたくさんあるのでしょうが、ひとつの宿坊でもこれだけの体験ゾーン(といったらよいのか?)があることは大変驚きでした。
恐るべし・・・高野山。
帰る前に「霊宝館」に寄り、仏像を堪能しようと思ったのですが、あいにくの改修中。
国宝の「八大童子」は残念ながら見られなかったものの、それでも重要文化財の「阿弥陀如来座像」や、快慶作の「四天王立像」は圧巻で、そこだけ違う空気感がありました。
仏像ににらまれているんじゃないかと思わせる、謎の圧迫感も。
高野山霊宝館 https://www.reihokan.or.jp/
歴史の勉強はそれほど好きなわけではなかったのですが、社会科の資料集に載っていた、鎌倉時代に活躍した有名な仏師である運慶と快慶の仁王像にはなぜか興味があったので、霊宝館にある快慶作の像をたくさん見られたのは本当にラッキーでした。
真言密教の聖地、高野山。
どれほどの仏像がこの場所に安置されているのでしょう。
ここで暮らす人々が順繰り順繰り入れ替わっていくとしても、この先も高野山は、守るべきものを守り、伝えることは綿々と伝えて、そのまま続いていくのでしょうね。
いや、そのままであってほしい。
なんてったって、弘法大師はまだ深い瞑想の最中なのですから。